2008年4月29日火曜日

ブルターニュ旅行のまとめ

ブルターニュ旅行は一気に更新してしまったので、このエントリーでまとめようと思います。まず、今回の旅で初めて知った地理の位置感覚。パリから東を見ると、モンサンミッシェル→サンマロ(すごく近くにディナール)→Côtes d'Armorとなっているということです。一般的な教養として、フランスの地理感覚も学んでいきたいと思います。

今回初めて挑戦したバスツアーは、ガイドがフランス語でしたが何となく理解できて何とかなりました。ツアーは退職した後ぐらいの年齢層が多くて、若者は殆どいませんでした。途中、ガイドさんが趣向を凝らしてクイズを出したりしてました。参加者は大声で回答を言ったりして、盛り上がってたのが印象的でした。目的地に着いた後の行動はバラバラでしたが、ガイドさんは移動中に、参加者の出身地や仕事の統計などを取ったりして、グループの一体感を高めてたりしました。あと、驚いたのが、50人ぐらいの参加者のうちに集合に遅刻したりする人が一人もいなかったことです。日常生活では、誰も遅刻しないなんてあり得ないのに、これはすごいことだと思いました。


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Le château de Combourg

ホタテ貝祭の旅の帰りがけに、バスはLe château de Combourgにも寄ってくれました。このお城は、1025年に建てられて、今は歴史的建造物(Monuments historiques)に指定されています。館内は撮影禁止でしたが、日本の屏風らしいものもあったりとか、ヴェルサイユ宮殿より控えめな部屋のセンスが良かったりとかで面白かったです。

下のページはフランスの文化省のページで、Monuments historiquesに登録されていることが書かれているみたいです。
Ministère de la culture - Mérimée
Combourgの領主権はDolの大司教達の領主の分割であって、初めはおそらく、大司教達の領域であった。これは、この教会の支配権を逃れ、ほとんど唯一のDucの領域を逃れた。この城は、およそ1025年に大司教Guinguenéが建設し、腹違いの兄弟であるRiwallonへ与えた。1761年にChateaubriand家がその所有権を取得した。この城は、1866年から1878年にかけて修復され、長方形の庭に囲まれ、銃眼と石落としを備え付け、花崗岩を組み合わせて組み立てられた4つの広大で頑丈な建物からなる。このどっしりとした要塞は、円錐形の屋根をもつ銃眼と石落としのついた丸い塔を4つの角に伴う。北の正面と、北西の塔の石落としは、その4つの張り出しの3つの面に見られる;北東の塔の石落としは、3つの張り出しだけに見られる;それらは、壊れたアーケード状装飾に登録された見せかけの三葉虫で飾られた窓の上の横木を支えている。内部も同様に全てが修復された。その礼拝堂は正面玄関の入り口に見られる。今日、傭兵の大きな部屋は、2つの居間になっている。現在の庭園は、古い並木道に取り替えられた。

La seigneurie de Combourg était un démembrement de la seigneurie des archevêques de Dol et relevait sans doute, à l'origine, des archevêques. Elle parvint à s'affranchir de cette suzeraineté ecclésiastique et à relever presque uniquement du Duc. Le château fut construit vers 1025 par l'archevêque Guinguené qui le donna à son frère bâtard Riwallon. C'est en 1761 que la famille de Chateaubriand en acquit la propriété. Restauré en 1866 et en 1878, le château se compose de quatre vastes et puissants bâtiments en granit appareillé, munis de créneaux et mâchicoulis enfermant une cour rectangulaire. Cette massive forteresse est flanquée, aux quatre angles, de tours rondes à créneaux et mâchicoulis, à toitures coniques. Les mâchicoulis de la courtine nord et ceux de la tour nord-ouest présentent sur leurs trois faces des encorbellements à quatre ressauts ; ceux de la tour nord-est sont à trois ressauts seulement ; ils supportent des linteaux ornés de trilobes simulés inscrits dans des arcatures brisées. L'intérieur a été également entièrement restauré. Sa chapelle se voit encore à l'entrée du vestibule d'honneur. La grande salle des Gardes forme aujourd'hui deux salons. Le parc actuel remplace d'anciens mails.




2008年4月28日月曜日

ディナールとサンマロ

ホタテ貝祭の旅の帰りの昼食は、Dinard(ディナール)というサンマロの近くの町でした。デイナールの岬を回るとサンマロが見えるという近さでした。ブルターニュの特産、ガレットとシードルでゆっくりと昼食を取ってたら、お土産を見る時間がなくなってしまいましたが、なかなかきれいな町でした。

写真1枚目がディナールの町、2枚目がディナールから見たサンマロです。


Le Cap Fréhelの灯台

ホタテ貝祭の旅の中で、Fréhel岬の灯台も見てきました。断崖絶壁に立つ灯台はなかなかの壮観でした。海を見ると、集中的に雨が降っている地点があったり、そこに雷鳴が轟いてたりしてるのが見えました。バスに乗り込んですぐに雨が降って来たりとか、お天気運はいい旅でした。

Cap Fréhelはサンマロ湾やCôte d'Émeraudeなどの延長で、フランスのブルターニュの北のCôtes-d'Armorの半島にある。この半島には、町や村がないが、2つの灯台がある。一つは17世紀からもう一つは1950年から、半島の先端に建っている。この岬はFréhelの町の中心から8.5キロのところに位置している。

この半島は主に絶壁に囲まれていて、海からのアクセスは非常に難しい。波状の地形は原野と湿地に覆われていて、この場所に建造物を建てるのを非常に難しい。(wikipediaより)


海の幸

ホタテ貝祭でやっぱり、貝ということで、日本でいう舟盛りみたいなFruits de mer(海の幸)という料理とムール貝を頼みました。この料理に合う白ワインとかも会ったのかも知れませんが、日光のカフェテリアだったので、やっぱりビールをオーダー。喉が渇いた時のビールに勝る組み合わせはないんじゃないかと思います。町にはホタテ貝の袋を持った人達が溢れていました。2枚目の写真の黄色いネット袋で5キロ15ユーロ(1人2袋まで)でした。バスなのでさすがに買うのは止めましたが。



ホタテ貝祭

課程一年目のレポートと提出して念願のヴァカンスに行ってきました。"la fête de la Coquille Saint Jacques Erquy"(Erquyという町のホタテ貝( Coquille Saint Jacques)の祭)でパリからバスが出ていたのです。当日は日焼けが怖いほどの、快晴でなかなかにぎわってました。もちろん、貝もたくさん食べてきましたよ→海の幸

LA FÊTE DE LA COQUILLE SAINT-JACQUES
4月末の漁の季節の終わりを祝うために1993年に創設された、Côtes d’Armorの主な3つの港(ErquyとSaint-Quay-Portrieux,Loguivy de la Mer)の一つで相次いで行われる祭。毎年、4万人から7万人の訪問者を集め2日間お祭り気分で、和気あいあいと開催される。この祭りは、Oupeyeやパリのモンマルトルにも広げられた。2日間のあいだ、訪問者は生きたホタテ貝を見ることができて、採れたてのホタテを味わうことができ、また一日中続く多数の無料の音楽会と活気を味わいなら、芸術家や漁師による展示の中を散歩できる。

Créée en 1993 pour fêter la fin de la saison de pêche en avril, elle a lieu successivement dans l’un des trois principaux ports de pêche des Côtes d’Armor : Erquy, Saint-Quay-Portrieux et Loguivy de la Mer . Elle réunit chaque années entre 40 000 et 70 000 visiteurs sur les deux jours dans une ambiance festive et conviviale. Elle a aussi été exportée à Oupeye (ville Belge jumelée avec Erquy) et sur la place du Tertre à Montmartre.

Durant ces deux jours de fête, les visiteurs peuvent observer les coquilliers en action, déguster des coquilles toutes fraîches pêchées, se balader parmi les expositions d’artisans d’arts et de marchands de la mer tout en profitant des nombreuses animations et concerts gratuits tout au long de la journée.



2008年4月21日月曜日

La Petite Cour

プロジェクトのミーティングの後にLa Petite Cour(小さい中庭)というレストランでディナーでした。20人ぐらいのスーツのビジネスマンがディナーをしていてちょっとギョッとしました。日本だと打ち上げとかで団体で宴会することが普通ですが、パリだとちょっと珍しいです。だいたいカップルか、家族か、友人な気がします。とはいえ、うちらもあまり変わらないような大所帯の団体でしたが。サーモンとタマゴの前菜->サーモンとアスパラのメインディッシュ->クリームブリュレ。レストランの雰囲気、料理、ワインの質ともに良かったです。

La Petite Cour
8, rue Mabillon - 75006 Paris
Métro: Mabillon
Tel. : 01.43.26.52.26
http://www.la-petitecour.com/

2008年4月18日金曜日

Yoshida Kiju

来週末に一年目の半期レポート(40ページ)があるので、土曜日も働いてしまいました。パリで無料でインターネットできて、電源があるポンピドゥーセンターで執筆しようと思ったのですが、ものすごい列ができてたので諦めました。入館するまでに少なくとも1時間30分はかかる感じです。ポンピドゥーセンターでは、吉田喜重回顧映画祭をやっていて大きな旗が立ってました。

2008.3.26-5.19 RÉTROSPECTIVE INTÉGRALE KIJU YOSHIDA
吉田喜重回顧映画祭


ポンピドー・センター内の映画館にて、フランスで初めて吉田喜重の映画19作すべてが上映される。吉田は、大島渚、今村昌平らと並び、日本のヌーヴェル・バーグの中心人物の一人とみなされ、1960年よりフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールなど、フランスのヌーヴェル・バーグを牽引した監督たちから多くの影響を受けた。
過去数十年の日本映画のなかでも、独創的で大胆、かつ厳格なその作品は異彩を放ち、現在74歳の吉田は、日本映画の「生きた記憶」とみなされている。

2008年4月15日火曜日

Les toilettes du pape

Les toilettes du pape(ローマ教皇のトイレ)という映画を見てきました。スペイン語音声でフランス語字幕でした。字幕が早すぎて理解できないところがたくさんありましたが、大まかな流れは理解できました。おそらく結構笑えるフレーズがあったらしく、館内はドッと笑いが起こることが何度もありました。サンセバスチャン国際映画祭2007、プサン国際映画祭2007、香港国際フェスティバル2008に出展されているそうです。

Les toilettes du papeのあらすじ
http://www.allocine.fr/film/fichefilm_gen_cfilm=128132.html

1988年、本質的に密輸入によって生き延びている、ブラジルとの国境付近のウルグアイの小さな町Meloがヨハネ・パウロ二世の訪問を熱烈に迎える。メディアはたくさんの訪問者と膨大な殉教者が、食べ物、飲み物、旗、お土産、記念バッジ、記念土産を求めると伝える。主人公のBetoは殉教者が用を足すことのできる公衆トイレが最高の収入源になるに違いないと考える。しかし、トイレを建設する前にBetoは、家族の激しい反対にも関わらず、密輸品を輸送するために彼の自転車で、だんだんと危険が増す国境の行き来を増やしていかなければならないだろう...

Nous sommes en 1988, et Melo, petite ville uruguayenne à la frontière brésilienne qui survit essentiellement de la contrebande, attend fébrilement la visite du pape Jean-Paul II. Les médias annoncent des centaines de visiteurs, des milliers de pèlerins en quête de nourriture, boissons, drapeaux, souvenirs, médailles commémoratives...Beto, notre héros, pense avoir trouvé la meilleure source de revenus, des toilettes publiques où les pèlerins pourront venir se soulager. Mais avant de pouvoir construire ses toilettes, et malgré l'hostilité de sa famille, Beto va devoir multiplier les allers-retours de plus en plus risqués à la frontière, sur son vieux vélo, pour passer des produits de contrebande...

Nintendo Wii fit

今週の日曜日から(?)パリではNintendo Wii fitの宣伝がでかでかと出てます。パリのメトロでは一車両に二つしか中刷り広告が無いのですが、それを一つ占拠しているのと、プラットフォームに宣伝が出てました。”Ceci est un plateau. À quoi sert ce plateau?”「ここにプレートがあります。これで何しますか?」。Wiiは持ってないんですが、日本企業には頑張ってほしいです。










2008年4月14日月曜日

Muséum national d'Histoire naturelle

下の記事に興味をそそられて、Muséum national d'Histoire naturelle国立自然史博物館)に行ってきました。6メートルのイカって相当に大きいのかと思ったんですが、一番長いアシを含めてその大きさだったようです。特集な保存方法で本物のイカを展示しているらしいのですが、プラスチックの展示品にしか見えない出来映えでした。イカはちょっと脱力してしまいましたが、その他の展示品はなかなか迫力が会ってよかったです。この博物館は大きな公園の中にあって、他の博物館もたくさんあるようです。水族館みたいなモノもあるようなので、また行ってみようと思います。

パリの博物館に巨大イカ出現
イカとして世界で初めてプラスティネーションと呼ばれる技術で作成された全長6.5メートルの巨大イカの標本が公開された。

2008年4月11日金曜日

ダージリン急行

ダージリン急行 (The Darjeeling Limited)という映画を見て来てきました。3人兄弟がインドのダージリンの鉄道に乗るドタバタ映画です。面白い感じの映像が多くて、暇つぶしには良いと思います。

笑いどころが結構あったのですが、英語音声でフランス語字幕だったので、言葉が面白いような場面ではやっぱりちょっと理解できないところが。始まりは、パリのホテルでアメリカ人が「チーズってフランス語で何て言うんだっけ?」「(ホテルマン)フロマージュです。」「それ持って来て。」とか言う場面から始まったので、一瞬何語で見てるのか混乱しました。

しかもエンディングはダージリン急行が走っているのを背景にして、なぜか「オー・シャンセリーゼ(Aux Champs Elysées)」。映画では歌ってる人がはっきり歌詞を発音していたので、すごく歌詞が聞き取りやすくてなんか自分でも歌えそうな感じがしました。Youtubeで出て来たやつで、初めてマジメに聞き取ってみたけど、意外といけそうかも。有名な曲だし、今度日本に帰るときには、カラオケとかでチャレンジしようかな。

2008年4月8日火曜日

Musée du quai Branly

ケ・ブランリ美術館に行ってきました。フランスでは、大統領が就任中に大きな文化施設を建設することがよくあります。ポンピドゥー大統領がポンピドゥーセンターを造って、ミッテラン大統領がオペラ・バスティユを造ったりしてます。そしてシラク大統領が造ったのがこの美術館。古代文明を含む、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの芸術、美術品が展示されています。

目が渦巻きで異常にでかい人形を見て古代人は宇宙人に会ってたんじゃないかとか、巨大ロボットに乗っかる人間の絵を見て古代人はロボットを作り上げてたんじゃないかとか想像しそうになりました。すごくヘンテコで不思議な芸術が多いです。作者にどういう思考でこれを作ってみたのが尋ねてみたくなるようなモノばかりです。あまりに多種多様なヘンテコさなので、何が普通なのか分からなくなってきます。自分が普通だと思ってる現代文明も、古代人とか他の人から見るとすごくヘンテコなんだろうなとか思います。

秋津温泉

秋津温泉(仏題:La Source thermale d’Akitsu)(1962)を見て来ました。吉田喜重監督の経歴を見ると、文学部仏文科を卒業したり、フランス政府より芸術文芸勲章を送られたり、フランスとの関わりが強いようです。ポンピドゥーセンターでは、3月25日〜5月19日まで、吉田喜重回顧映画祭(RÉTROSPECTIVE INTÉGRALE KIJU YOSHIDA)が開催されていています。監督も夫人と共にパリを訪れていて、舞台挨拶とかもしているそうです。また、ポンピドゥーセンターのサイトによると、ポンピドゥーセンターの新館長は、日本の芸術作品を展示することに積極的なようです。

作品は心に残るモノでした。終戦の風景から始まる作品なのですが、映画公開が終戦17年後ということで、当時の観客にはまだ記憶が鮮明に残っていたんだと思います。良い作品なので、周りの観客の反応もかなり良かったと思います。ちらちらと、フランス語の字幕を見ていましたが、かなりの日本通でも細部まで作品を理解するのは難しいように感じました。特に、「木綿のような女だよ」という台詞は、フランス語にすると「コットンのような」になってしまいます。絹と木綿のイメージの違いまでを頭に入れておかないと、理解できない感覚だと思います。

2008年4月7日月曜日

ルイーズ・ブルジョワの展示会

前に書いていたルイーズ・ブルジョワの展示会に行ってきました。学生8ユーロ。巨大な蜘蛛はかなり不気味だと思っていましたが、他の展示はさらに不気味でしかも意味不明な感じでした。ちゃんと深い意味があるのかも知れませんが、僕が感じた感覚では、拷問&人体実験&エロス&出産みたいなキーワードが浮かんできました。これは、8ユーロちょっと後悔です。。でも今日見学したことは、一生忘れられないでしょう。恐いもの見たさが強いヒトにはお勧めできるかも知れません。

2008年4月4日金曜日

ルイーズ・ブルジョワ

パリのポンピドゥーセンターでルイーズ・ブルジョワの展示会をやっているみたいです。六本木ヒルズの蜘蛛「ママン」を作った人みたいです。というのも、ソックリなオブジェがおいてありました。

六本木ヒルズのやつよりも小さいですが、すごく近くで見れるので迫力がすごかったです。今回は、このオブジェしか見てないので、展示会もゆっくり見たいなと思います。

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2008年4月3日木曜日

右ハンドル・左ハンドル両対応

日本やイギリスの自動車は、フランスを初めとするヨーロッパの国とは反対で、右ハンドルですが、これはドライバーの混乱を招きます。無料新聞紙の広告で見つけたんですが、シトローエンの新型車はハンドルが右左にボタン一つで動かせるらしいです。

すごいなーとおもったら、エプリルフール(Poisson d'avril)でした。新聞の中にもたあいないウソが混じってるそうですが、フランスでは広告にも進出しているみたいです。


シトローエン発表

自動車の革命、右ハンドル、左ハンドル自由自在

CITROËN PRÉSENTE

UNE RÉVOLUTION POUR L'AUTOMOBILE

GOUCHE DROITE ET VICE RERSA



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2008年4月1日火曜日

Trivial pursui

友達の家で、Trivial pursuitなるゲームを体験しました。写真の双六みたいなやつでさいころをふって、カードの中で止まった目の色の問題を読んでもらって答えられたら、ピースをゲットできて、6個のジャンル全てのピースが先にそろった人が勝ちというゲームです。実際にやったわけではなく、だらだらと問題を読んでみんなで早く答えるゲームをしていただけでしたが。実はこのゲームを見るのは2回目で、結構一般的みたいです。

今回のテーマは1990年代にしぼられているということで、ちょっとは期待しましたが、現在のフランス語力ではフランス人たちには相手になりませんね。読まれる問題を理解するのに時間がかかってはや押しに勝てないのと、フランス人にとって懐かしい問題とかがかなりチンプンカンプンでした。


A. 1997年のサンフランシスコのバジリカ天井の崩壊が思い来させるモノは?

D. アメリカン・ビューティーでオスカーを獲得した俳優は?

V. 映画ブレア・ウィッチ・プロジェクトの世界中でオリジナルの出版社はどこでしょう?

C. どの公共の企業でChristian Blancを引き継ぎ、Jean-Cyril Spinettaが就任したでしょう?

M. 誰が映画タイタニックの主題歌を歌ったでしょう?

S. フランスは長野オリンピックで8個のメダルを獲得しましたが、何個が金だったでしょう?



A. Qu'est-ce que q provoqué en 1997 l'effondrement de la voûte de la basilique de Saint-françois d'assise?

D. Quel acteur a obtenu l'Oscar pour son rôle dans American Beauty?

V. Quel a été le monde original de lancement publicitaire du film Le projet Blair Witch?

C. Dans quelle entreprise encore publique Jean-Cyril Spinetta avait-il succédé à Christian Blanc?

M. Qui interprète la chanson principale du film Titanic?

S. Sur les 8 médailles ramenées par la France aux J.O. de Nagano en 1998, combien étaient en or?



答え:

A. 地震(un tremblement de terre)

D. ケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey)

V. インターネット(Internet)

C. エール・フランス(Air France)

M. セリーヌディオン(Céline Dion)

S. 2


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囲碁

中国人の友達の家で、ダンスパーティをしてきました。マンションの一室で、深夜まで爆音で音楽を流して踊るという、無茶を。。

パーティが始まるまで待ち時間に囲碁を。高校の頃に友人が囲碁部に入ったのをキッカケにして、少し遊んだのを最後に全然やってなかったので、テクニックも定石も完全に忘れてました。当然敗北。相手も始めたばっかりだったので、まだ戦えるかもしれないという期待もあって久しぶりに楽しかったです。10年ぐらい前に覚えた囲碁もなんだか役に立ちました。

パリのどこかで結構人が入ってる囲碁カフェを見たんだけど、どこだったかな〜?フランスではJeu de goって流行ってるのかな?ウィキペディアの記述も充実しているみたいです。

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